パンツ一丁ブログ

心をパンツ一丁にして語る。傷の10コや20コ、いいじゃあーりませんか。

PTA、クラス役員。苦手な私がやってみた。

PTA、クラス役員。

保護者にとって恐怖でしかないこの存在。

誰もやりたくないのに、無くなればいいと皆が思っているのに、なぜかずっと存在し続ける。

息子が小5の時、私はPTAの役員になった。更にくじ引きで”副委員長”という地獄への切符を手にした。あの瞬間、目の前が真っ暗になったのを今でも覚えている。

当時、私は社会復帰を果たしたばかりで、フルタイムの仕事と家事育児との両立に苦戦していた。ここに加えてPTA。なぜなぜなぜなぜーーー

PTAにはどうでもいい仕事が山のようにあった。誰も何の疑問も抱かず、非効率に「労働力はタダ!」という認識の元、こき使われる。PTA室にはインターネットに繋がっていないパソコンが1台。サポートがはるか昔に切れたWindowsが入っている。
「PCにデータを保存することは禁止です。」との貼り紙。情報保護の観点から、USBに保存しろと言うことらしい。

・夏のプールのお知らせ
・ラジオ体操のお知らせ
・運動会の警備見回り表

これらの情報を必死に保護してどーするんだ?全校生徒に配るんだぞ?そもそもUSBがなぜ安全なんだ??落としたら終わりだぞ。

謎だらけのPTA。
悶々とする私。

長く使用している紙の名簿を、修正液で書き直していくという作業もあった。
何かの罰ゲームかと思った。

PTA主催の行事というのは沢山あり、その殆どが、地域の様々な会と共同で行われる。あまり参加者が集まらない企画もあり、役員たちが知人に電話をして参加者を確保する。(なんじゃそりゃ。)人が集まらない行事は無くせばいいと思うのだが、地域の老人会や青年団、何やかんや色々絡んで、小学校のPTAが決められることではないという。

行事はほぼ毎月のようにあるのだが、各行事の後には必ず「反省会」なるものがある。集会所に集まり、1~2分行事のことを述べたら、奥からビールが大量に運ばれてくる。そしてどこからともなく、ジジババが湧いてくる。青年団も結集。
気が付けば部屋は超満員。
ツマミまで整っている。
なるほど、これが”メイン行事”なのね。。

まぁ、知らないジジイ達とお酒を飲むのも楽しいけれど、月一は多い。毎回同じ話題で、毎回同じところで笑う。
ドリフ形式。
中にはPTAを何年もやっているママさんもいる。(結構いる。)
こんな大変なことを毎年やってくれるなんて、感謝せずにはいられない。
しかしそういう人たちに限って、「ずーっとこのやり方だから~」と変える気はゼロなのが難点。
やる気があって入ってきた人たちにも、「我々はもう全て分かってるからあなた達は従っていればいいのよ」というオーラを出しまくり、変革や進歩を許さない。

そしてPTAにいるとされる、”怖い人”。
いるいる。
でも少ない。
私の時は頭おかしいのが2名いた。
フラットな組織のはずなのに、上司と部下だと勘違いしている。
常に高圧的で、周りが言うことを聞くのが当たり前だと。

パワハラ騒動が起こった。実際に酷いものだったので、学校とPTA上層部を巻き込んで、キッチリ話しを付けた。その二人は役員から外された。この辺は意外と学校も協力的で、区のPTAも問題を起こしたくないので、対応してくれる。トロいけど。

変なヤツは確かにいたが、でも、その二人以外はみーんな良い人!
仲良く楽しくやろうね!という雰囲気に満ちている。
仕事を助け合うことも多々あった。
PTA、クラス役員になった人たち全員が「この一年を平穏無事に終えたい!」と思っているんだから。本来なら、上手くいかないわけないのよ。

ちなみに、PTAの一番辛いところは、人間関係ではない。超絶非効率、誰の為にもならない無駄な行事の数々、燃えるゴミにもならない無駄仕事の山。これらに耐え続けることなのだ。

怖いよね嫌だよね胃が痛いよね。

分かる!!

でも、大丈夫!

変な人は2人だけだったから。

他はみんな優しくて、楽しかったよ!(←楽しいは嘘。)

出産物語②私は立ち会い出産を望まなかった。

前回までのストーリはこちら↓

さて、いよいよ出産だ。

夫に連絡。

「入院したよ。間もなく出産。話し合った通り、立ち会いは無しね。生まれたら連絡するから、ビールでも飲んで待ってて。」

私は立ち会い出産を望まなかった。

出産は、夫にとっても大事な瞬間でもあるので、一応聞いてみたところ、

「俺がいることでお前が少しでも楽になるなら何でもするよ!」ということで、出産の瞬間にその場にいたい訳ではないと分かり、出産時にテメーが私の手を握っても、何の助けにもならないことをやんわりお伝えし、立ち合い出産はしないことになった。

プロだけに囲まれて、
心置きなく苦しい顔をして、
好きなだけ痛い痛いと叫び、
全てを委ねて安心して出産したかった。

そこに、ど素人の夫がオロオロしてたら気が散ってしょうがない。

「頑張って!」なんて言われたら、
「とっくに頑張ってるわオラー!!」と殴ってしまいそうだし、
出産の血みどろのシーンを見せたくないし、
うっかりウ〇チが出ちゃったりしたら絶対に見られたくないし。

あと、出産は女だけに与えられた特別な仕事のような気がして。

世の中の殆ど全ての事は男女どちらでもできるけど、”産む”ということだけは女にしかできない。

私はそれに一人で立ち向かいたかった。

立ち合い出産がスタンダードな今、コロナや仕事のせいで立ち合い出産が出来なくて、落ち込んでいる人も多いのだろう。

でもね、子どもが生まれたら、毎日大イベントの連続。

出産は単なるその中の一つに過ぎない。

出産に立ち会うかどうかで子どもへの愛情は1ミリも変わらない。

大事なのはそこじゃない。

もちろん、立ち合い出産をして夫婦でその瞬間の感動を分かち合うのは素晴らしい。

私の周りで、立ち合い出産は7~8割くらいかな。

話しは戻ります。

看護師:「陣痛の間隔はどのくらいですか?」

私:「陣痛って、自分で気付きますか?」

看護師:「は?気付かない人はいないと思いますけど…え?痛くないんですか?」

私:「お腹が少し張ってる感じはあります。」

看護師:「いやいや、そんなもんじゃないわー。データ取りましょう」

と言って、お腹のあちこちにペタペタと何かを貼り、機械に繋げて、陣痛の波の大きさと間隔を見るという。

看護師:「普通の陣痛来てますよ…。本当に痛くないんですか?」

先生もやってくる。

ごにょごにょ話している。

医師:「何で痛くないんですかね~。痛みに強い方ですか?」

私:「いえ、激弱です。」

夫は仕事を早退し、病院に駆けつけて、私の手を握って帰っていった。

とりあえず私は病院で出された夕飯を食べる。

分娩前は食べ過ぎない方がいいということで、量が少ない。

おにぎりとか隠し持ってくればよかった。(泣

携帯がピロ~ンと鳴る。

夫からだ。

「〇〇さん(大学院時代の先輩)と前祝いしてまーす!」

と、生ビールと笑顔の夫の写真が送られてきた。

普通の妻なら、ここでブチ切れるんだろう。

でも私は、美味しそうなビールと夫の超絶笑顔に嬉しくなり、
「おぅよ!待ってろ!」と返した。

いよいよ私の一生で最大の仕事が始まる!

定期的に子宮口の確認をされる。

もう10㎝に達した。

どうしましょうかと看護師さんたちが相談している時、

体に「ドン」という衝撃があり、

突然、激痛が走った。

!!!!!!

これかーー痛い!痛すぎる!

分娩台に上がり、スタート!

「ハイ息んでー!」

一瞬痛みが引いて、また超絶痛くなって、全身で息んで。

TVでよく見るようなギャーギャー騒いだり、

痛い―!なんて叫んでいられない。

声を出すと力が逃げてしまうから、声を出さずに出来るだけ全ての力を息む方に使う。

これを繰り返しながら90分が経過した頃、息子は出て来た。

「あ”ーーやっと出て来た。グッタリ」(感動より、終わった嬉しさでいっぱい)

看護師:「元気な男の子ですよ~」

赤ちゃん:シワシワ~ 

こんなに小さい人間を見るのは初めて。

爪の先まで精巧に出来ている。

ぉお~すげー

午前2時という真夜中だったけれど、出産の一報は、夫を通じて夫の両親、夫の姉、私の両親、祖母、妹に届けられたらしい。

みんなに祝福された息子(シワシワ)を見ると、誇らしかった。

私は大仕事の後で喉がカラカラ。

とにかく生ビール(大)が飲みたかった。

出産物語①「尿漏れじゃなくて破水です。」フルメイク香水付きで分娩台へ上がった妊婦。

出産予定日まであと2週間。

ぼちぼち入院準備しておくかな。

着替えやタオル、本や化粧水などをバッグに詰め込む作業だけではない。

出産したら子育てでしばらく会えなくなる友達に会っておく、しばらく行けななくなるレストランに行っておく、なども大事な準備なのだ。

その日、私は友達とランチに行く約束をしていた。

念入りにお化粧、マスカラもばっちり。

お気に入りのピアスをして、香水までつけちゃって。

ふと立ち上がると「ちょろ」。

あれ?何この感覚。噂の尿漏れか?

その後も部屋の中を歩くたびに、ちょろっ、ちょろっ。

トイレに行きたい感覚もなく、なんか変だな。

念のため、病院に電話をする。

すると

「あーそれね、前回の検診で、とら子さん子宮口少し開いてたから、たぶん破水だと思いますので、入院準備をして今すぐ来てください。恐らくすぐに出産になります。」

え?

「なるべく動かずに、股にタオルを当てて、今すぐタクシーか何かで来てください」

初産で2週間も早く出てくることもあるのか。

しょうがない、ランチは延期だ。(←それどころじゃないだろ)

母に電話をし(当時はまだ仲良かったから)、すぐ車で迎えに来てとお願いをした。

当時、車だと40分程度の距離。

15分後、母から電話。

「あのさー、美味しいトマトが安いんだけど、買って行こうかー?」

は?

買い物してんのかよ?!

今から入院するんだから要らねーだろ!!

「いや、要らないから早く来てー」

更に15分後、母から電話。

「トイレットペーパーが激安なんだけど、お宅はダブルだっけ?シングル?」

今度は薬局かよ!!

自分でタクシーで行けばよかった。

母の「陣痛が来たら私が連れて行くから必ず電話してね!!」

そんな言葉、無視すればよかった。

私が電話をして1時間半後、母は到着した。(おせー)

大量の野菜やら何やらを家に置いていく。

だから要らんっちゅーねん!

夫は料理しないんだから腐るだろがーっ!!

当時、私はまだ母に優しかったから、

「ありがとう、でも腐らせちゃうから持って帰って」と優しく断る。

ここから病院まで車で20分。

母「ちょっとガソリン入れていくわ」

私!!!

病院に到着後、すぐに診察、破水を確認、入院となった。

子宮口も5cm開いており(10cm開けば分娩「ハイ息んでー!」がスタート)、一般病室ではなく、いきなり陣痛室だ。

ここで確認。

私は友達とランチへ行く予定だった。

チャラチャラお洒落して、フルメイクで香水まで付けた状態。

その状態で急いで出産着に着替え、陣痛室へIN。

こんなにお洒落してくる妊婦はおそらく珍しいだろうし、相当気合の入った妊婦だったと思われただろう。

続きはこちら↓

父「お前にはもう一人妹がいる」、私「知ってた」、父「え?」

父はある時期から、愛人と住んでいたマンションを出て(気前よく差し上げたそうで)、新たに買ったマンションで楽しく一人暮らしをしていた。(←また勝手に)

俺が稼いだお金だも~ん自由に使って何が悪い、と思っている男を父に持つと、こういう事には驚かなくなる。

ノー天気で明るい父だけど、彼は子どもにずっと言えなかったことがある。

私が20歳を過ぎてから、時々父と2人で飲みに行くようになった。

父はそこそこサイテー男だし、偉そうなことを言える立場じゃないのは自分で分かっているので、何かを相談しても、理想論や建前ばかりではなく、人間味のあるアドバイスが返ってきた。

なぜか私の男友達から絶大な人気があった。(←?)

というのも、
「お前(私)の男友達をうちに連れてこい!」と言って、学生ではとても飲めない高級なお酒をたくさん用意して、「男は美味しいお酒を知っておけ。」と言いながら朝までうちで飲むということがしょっちゅうあった。

そういう時は母も朝までフル参加。

ある日、いつものお店で2人で飲みながら、ふと父は少し真剣な顔をして、
父:「実は、お前には、もう一人妹がいるんだ」
私:「知ってる。」
父:「…え?!いつから?」
私:「小学生の頃から」
父:「え!!そっか…ママが話したのか…ママは悪くないんだ」
私:「違う。知らない女の人から電話が来て、家に誰もいなくて私が出て、その時に「あなたにはもう一人妹がいるのよ」って言われた。」
父:「え”---!!」
私:「その電話のことは誰にも言ってないよ。ママにも。小学生ながら、言っちゃダメなのは分かったんだよね。妹についても知らないふりを通してきた。子どもの私にはちょっと重かったけどね。でも、もう知らないフリをしなくて済むのね。」
父:「そうだったのか…。シャンパン開けようぜ。」(←?)

ピンドン(←チャラい選択)を飲みながら、初めて心をパンツ一丁にした親子の会話は続く。

深夜の六本木。

小さい頃から家族で通っているお店。

私:「どんな子なの?」
父:「とってもいい子だよ。お前によく似てる。頭も良くてな。ピアノが上手いよ。」
私:「パパのピアノの才能は、その子が受け継いだのね。」
父:「お前に会ってみたいって言ってるよ。」
私:「そう。いつか、ね。」

私たちが寂しい思いをしてきたこと、
母の泣き顔を見るのが辛かったこと、
プレッシャーが重かったこと、色々話した。

父はしんみりした顔で聞いていたけど、翌朝には忘れてるんだろうな。

アイツはそーゆーやつだ。

ま、こんな夜もありました。

長瀬君のドラマ『俺の家の話』で、「じゅげむが実は弟だった!」という話があったけど、私的には「こういう事、あるよね~」くらいの感じだ。(何自慢だよ)

その後、私はその”もう一人の妹”と会うことになるんだけど、それはまた別に機会に。

産後うつ・育児が辛くてギリギリのあなたへ。

「ぐっすり眠るためなら死んでもいい。」

当時、私は毎日そう思っていた。
睡眠不足は人を変える。私はたぶん、相当追い詰められていた。
仮病を使って救急車で運ばれて、何もかも放棄して一週間くらい入院してぐっすり眠りたい。
こんなアホなことを、本気で考えるわけだから。

息子は全然寝ない子だった。
2歳半になっても、夜中に2~3回は起きる。
朝までぐっすり寝たことが一度もない。
私は3年近く、極度の寝不足が続いていた。

不思議なことに、夫は夜中の泣き声に気付かない。朝までグ~すか。
母親は脳ミソが完全育児モードになっているためか、最初の一声で起きてしまう。よって、別室で夫に夜泣きのケアを交代してもらっても、母親というものは子どもの泣き声に瞬時に反応してしまうのだ。寝不足は全く解消されない。

息子に何か病気が隠れているのでは?と有名な小児科医を巡ったこともあった。異常はないという。

子どもは3歳までに親孝行すると言われるほど可愛い、などと言われるが、これは少し違う。3歳からがグッと可愛くなる。宇宙人から人間に変容を遂げ始め、意思疎通ができるようになると、親の方にも心の余裕が出来て、”可愛い!”に集中できるようになるためだ。

まぁそれは個人差があるからどうでもいいとして、とにかく私は頭がおかしくなりかけていた。
おそらく産後うつになっていたのだろうと思う。

夫は仕事で忙しく、頼ったところで大した戦力にならない。困り果てた私は、実母に頼った。が、これが大きな間違いだった。
「母親なんだからそのくらいやりなさいよ。昔なんかもっと大変だったんだから。」
「今の人は甘え過ぎよね~。私が甘やかし過ぎたかしら。」
助けるどころか、昭和の苦労話とお説教が始まる。
実母の言葉は思った以上に突き刺さる。

そして、こちらが助けを求めた時に来るのではなく、自分の来たい時に来て、要らないものを大量においていく。
りんご1ダースとか(皮むきですら辛いと訴えてるのに)、あく抜きが必要なタケノコ(今やってられっかよ!)、手洗いが必要な高級ベビー服とか(アホ―!!)
私:(頼む、帰ってくれ…)

私は孤独だった。

産後うつの苦しみは、恐らく経験した人にしかわからない。

子育ての大変さは、子どものタイプによって全く異なる。
夜泣きせず朝まで眠ってくれる赤ちゃん(天使やん)。
うちのように、3歳近くなっても何度も起きる子(悪魔じゃ)。
静かに遊ぶ子、昼寝をしてくれる子、動きが活発で一瞬でも目を離せない子、ずっと親にくっついて離れない子、親ガン無視で走り回る子。

子育ての苦労は全員違う。

だから自分の経験だけでドヤ顔でアドバイスなどしてはいけないんだと、つくづく思う。

寝不足で疲れすぎて、体が思うように動かなくて、でも子どもは容赦なくて、やることてんこ盛りで。
「あーもーなんもやりたくねー。このまま消えたい」
と思ったこともある。

子どもの可愛さより、辛さの方が勝ってしまう瞬間もある。

それでも私は、子連れでよく出かけたり、旅行に行ったり、ホームパーティーはしょっちゅう開くし、周りからは元気に見えていただろう。

理解されない孤独。

困った時、助けが必要な時、実際に動いてくれたのは、区の保健師さんと小児心理士の方だった。

子どもの定期診断の際、
「お母さんは何か困った事、悩みごと等ありませんか?」
と聞いてくれた。
今思えば、そんなこと聞かれたことなかった。
嬉しくて、
「寝れなくて死にそうです!(*^▽^*)」
と元気に答えた。
これは相当イっちゃってると思われたのだろう。
すぐに動いてくれて、親が体調不良などの際に利用できる子どものお泊りサービスや、ベビーシッター、一時お預かり、家事代行、とにかく様々なサービスをたくさん紹介してくれた。

心理士の方は「心配なことがあったらいつでも電話してください、と言って、プライベートな携帯番号を教えてくれた。

泣けたーー。

困った時は、やっぱりプロに頼る!
日本には子育て中の親を助けてくれるシステムが色々ある。
自分なりに調べていたけど、情報量や速さが違った。
30分後には、1ベッド1週間分が確保されていた。結局、このサービスは利用せずに済んだのだが、いざという時は頼れるサービスがある!と知るだけで、本当に心強かった。担当の保健師さんも、その後、何度か連絡を下さった。

嬉しかったなー。

私のうつ抜けは、幼稚園の入園がきっかけだった。
生活にリズムが出来て、一日数時間の一人時間。
コーヒーを飲んだり、本を読んだり、ママさん達と他愛のないお喋りをしたり、そんな何でもない事が、私を癒してくれた。
滞ていたものが少しずつ流れ出すように、徐々に自分を取り戻していったような気がする。

今、息子は14歳、中学2年。

今になって考えると、ここまで来るのに一番助けが必要な時期は、0歳~3歳で幼稚園に入るまでの3年間だったな。この一番大変な時期は、家事代行や、ベビーシッター、一時預かりなど、プロの手をバンバン借りるべきだったと思う。なんか、自分でやらなきゃいけない気がして、こんなことのお金を使うのはわがままな気がして、頑張って、疲れてしまった。

夫や親に頼るのももちろんいいけど、それには限界がある。夫が何カ月も仕事を休んで昼間に子どもを看れるわけもない。子育てに必要な経費だと割り切って、お金を払ってプロに頼むという考えも大切だと思う。

産後うつは子どもの成長と共に抜ける人が多い。私がそうだったように。

だからあなたも大丈夫!

応援してる!!(ぶちゅー)

PCRではない「簡易コロナ検査」を受けてきた(抗原検査)

中2の息子が、喉が痛いと言い出した。

熱を計ったら37度。

ビミョー

いつもなら葛根湯を飲んで放置だが、今のご時世、そうはいかない。

いよいよ来たのか。

先ず、息子を部屋に幽閉。

マスクを着け、
飲み物や食べ物を運び、
本来なら自室持ち込み禁止のiPadスマホを渡し、
ドアのところに手のアルコール消毒を置き、
トイレ以外部屋から出るな、
出る時はアルコール消毒をしてから出ろ、

と告げる。

部屋でiPadウェーイ!している息子。

私は、息子が触れたであろう場所をアルコールで消毒。

家中の取っ手、
電気のスイッチ、
水道の蛇口、
リモコン関係、
タオルも分けて、
冷蔵庫の取っ手、
マヨネーズ(直前に使ってたから)、
思いつく限り、消毒した。

お陰で、うっかり取っ手を舐めても大丈夫なくらい清潔だ。(舐めないっつの)

私も夫も感染している可能性がある。

このまま家でビクビク&消毒三昧しながら何日も様子を見るなんて耐えられない。

コロナならさっさと息子と夫をホテルにぶち込んで(私は家)隔離生活を送りたい。

東京には、唾液や鼻ほじで簡易検査ができるところが結構ある。

その中の一つにとりあえず電話してみた。

今なら予約なしで
・抗体検査(罹ったことがあるか)、
・抗原検査(今罹っているか)、
どちらも検査できるという。

一人3,000円弱、15分で結果が出る。

行くしかない。

とりあえず抗原検査(今感染しているか否か)を3人で受けることにした。

着くと、頼りない感じの建物に扉のない個室ブースが並んでおり、
ガラスの向こう側におそらく美人であろうお姉さん(どっちでもいい)がいて、
検査のやり方を説明してくれる。

おそらくこのお姉さんは医療関係者ではない。

「この長い綿棒を、鼻の奥か喉ちんこの奥まで突っ込んで、ゴシゴシしてください。」

え?!自分で突っ込むんすか??

全員うろたえる。

息子「俺、喉にこんなの入れたらゲロ吐く自信あるんですけど」

お姉さん「じゃぁ鼻で頑張ってみますか?」

息子「鼻はもっと無理です…」

こんな会話が聞こえてくる。

それを聞いた夫が息子のブースへ行き、男を見せる。

「俺が入れてやる。貸せ」
「雑に綿棒を突っ込まれるくらいなら自分でやる!」

息子が必死の抵抗。

私はと言うと、

鏡で喉ちんこを見ただけでオエッとなるほど喉が弱い。

喉は無理だ。

かと言って、鼻のバージンをこんなとこで捧げたくない。

(よく考えたら、インフルの検査で鼻ゴシゴシされたことがあるので、既にバージンじゃありませんでした)

そんなことはどうでもいい。

息子が私のブースにきて、「俺はもうやったよ。意外とヘーキだった」と、どや顔で言う。

やるしかないのだ。

…オエッ…やりました!

15分後、結果が。

感染の可能性は低い、という数値だった。

ちなみに検査キットの裏側には中国語が。

お、おう、そうか。

とりあえず息子はただの風邪なのか?

検査の精度は93%。

あんな弱気なゴシゴシで、きちんと検体を採取できているのか。

不安は残るものの、どうしようもない。

一先ず全員引きこもって様子を見ようということになった。

たかが微熱でこの騒動。

ワクチン早よ!!

夫婦ケンカになる前に、ちゃんと伝えよう。夫への対処法。

夫婦はケンカする。

他人と一緒に暮らすとはそういうこと。

どうでもいい知らないおっさんと違い、どうでも良くないから、一緒に暮らしていく大切な人だからこそ、言いたいことや、伝えたいことが出てくるわけで。それは決して悪いことじゃない。むしろ良いことだ。

たいていの夫婦は、些細なカチンはテキトーにやり過ごして平穏に暮らしている。
不思議なことに、我慢は突然限界に達するものなのだ。
突然やてくるドカン。言い方もきつくなる。互いにエスカレートして売り言葉に買い言葉。完全なる修羅場。

そうなる前に、サラッと言ってしまおう。
「私それ、ムカつくからやめてほしい」と。

よく言われる、女の一番アカン作戦は、相手が気付いてくれるまで不機嫌を続けて、家の空気を最悪にして、夫が気付いてくれるのを待つ。

さあ、気付こう。夫が自然と気付いてくれる、そんな奇跡の瞬間は永遠にやってやってこないと。

こうも言われる。
「女は解決した過去のことを何度も蒸し返す」

そうじゃない。
そもそも解決してねーんだよ。
我慢して飲み込んで収めただけなんだYO!

更にこんなことも言われる。
「女は感情的になりやすい。」

これも覆してやろうじゃないの。これからは我慢せず、もっと早い段階から、冷静に、前向きな話し合いを仕掛けてみよう。

ちゃんと冷静に自分の気持ちを伝える。

夫はおそらく「分かった。今後は気を付ける」という。

しかーし!

アイツらは繰り返す。
何度でも。
アホなのかよと思うほどに。
「前にも言ったよね?!バカにしてんの?」
とキレたくなるのも分かるが、ここで忍耐さんと冷静さん登場。
忍耐強く、冷静に、諭すように、何度でも伝える。

私が思う夫婦の努力とは、ここ。

昭和組は『E.T.』を思い出そう。人間と宇宙人、指と指が触れ合って光っただけで、全世界が涙したではないか。

そして、毎日色んな事が起こるが、人生を覆すほどの一大事でなければ、シャレのめしてしまおう。「シャレのめす。」昔の人が使ってた言葉。冗談にしてしまおう、笑いとばしてしまおうといった意味。

”他人”という宇宙人と一緒に暮らすには、ちょいちょい努力が必要なのだ。

と、懸命に自分に言い聞かせているところ。